昨日からずっと考えてました。
「一周年の記事をどうしようか・・・」と。
いつもはチャチャ!と書いて、パパ!と載せちゃうんですが、せっかくの1周年だし、なにか特別な事を・・・と。
昨年の今日、初めて記事を書いてから1年が経って、ブログをはじめたきっかけや、目的や、これまでのこと・・・そんな事を書いたらいいかな?
でも、考えれば考えるほど、煮詰まるばかりで・・・。
(昨夜の就寝は3時前。
)
普段は見ない「アクセス解析」なんか見てみると、自分でひくほど、毎日誰かが訪問して下さってるようで・・・。
たまに気がつくと、まったく知らない方面からトラックバックが入ってたり・・・。
(そしてそれに気づいたときはかなり古くなってる。
)
最初の頃のまったく反応(コメント)がなかった時が、みょうになつかしくなったり・・・。
当初は、「自分の中に溜め込んでるものを、ここで吐きだせたら」という感じで始めたわけですが、今では、「自分になかったものを次々と溜めこんでいく」感じさえしています。
だいぶ昔になりますが、ワタシが結婚して実家を離れた頃、それまで持っていた「自分」というものが、まったくわからなくなった時期がありました。
いわゆる、アイデンティティを失ったという感じ。
前後のいきさつはいろいろありますが、その後、四苦八苦して、ようやく今の「自分」というものを見つけてきました。
体力も知力も劣っていて、理想とはかけ離れてる自分や、努力してもうまくいかないことなどなど・・・。
多くのことを「あきらめる」という覚悟ができた頃、ようやく毎日がラクになってきました。
それまでは、あきらめるのもイヤだし、曲がったことはキライだし、きちんとしてないと納得できないという、【絵に描いたA型】のワタシでした。
しかし、「人生の残り時間は限られてる」と気づいてから、このカミサマにもらったような時間を、「ああ、オモシロかった」と言って終わりたいと思い、そのころから、どんどんチカラが抜けていきました。(そして、「思い悩むのは時間の無駄だ」と気づいたわけです。
)
仕事中にしんどいな・・・と思ったときは、「今日でこの仕事が最後かもしれない」と思うようにしています。
そうすると、どのお客さんにもココロから「ありがとうございます」って言えるし、この職場がどんなに居心地がいいかってわかるんです。
ホントはそんなに刹那的ではいけないようですが、これもワタシというものの1部なんだと思います。
先がわからない不安な気分は時代の空気かもしれないけれど、それでも、足元の雪を踏み固めるようにして、1歩1歩進んでいけたら・・・。

今日はまた新しい1日のスタートになるような気がして・・・。
C.J.グレッグの誕生日とともに、ブログの一周年をホントに嬉しく思っています。
森の野鳥達は、こちらに気づかずに遠くを見たり、エサを探したり、毛づくろいをしたり・・・。
まるでこのブログのようじゃないですか?
人に見られてるのに気づかずに、木の枝でブラブラ・・・ヘンなことしてて。→
今日のこの恥ずかしい内容なんか、誰にも見られなきゃいいのに!(目的がわからん!
)
とにかく、これまでのみなさんのあたたかいお言葉と支えに感謝しています。
コメントをいつも寄せて下さる方々はもちろんのこと、チラっとでも覗いてくださっている方にも感謝しています。
たくさんのありがとうと、これからもよろしくお願いします。
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